「そして、世界は泥である」インタビュー#3

(2024年5月19日/京都芸術センターミーティングルーム1)

話し手:林智子(本展出品作家) 聞き手:安河内宏法(京都芸術センタープログラムディレクター)


このインタビューでは、林さんのこれまでの作品についてお伺いしてきましたが、現時点から振り返ってみると、2015年頃あたりに作品のひとつの転機があったように思えます。熊本市現代美術館の展覧会「Stance or Distance? わたしと世界をつなぐ距離」に出品された作品では、亡くなられたおじいさんのことを扱われていますね。

祖父は、いつも私を応援してくれる大切な人だったので、2009年に亡くなった時はとてもショックでした。
祖父は中学を卒業したあと、京都大学が熊本の阿蘇に作った火山研究センターに技術職員として就職していました。そこで働いているときに、備品のカメラで写真を撮影し自ら現像したものが今も私の手元に残っています。その写真が本当に素晴らしくて、私は子どものころからそれを見せてもらいながら祖父の思い出話を聞くのが大好きでした。 祖父は、火山研究センターを退職したあと、関西に戻り、京都大学に学生として通った後、物理探鉱というダイナマイトの爆発の振動を使って石油を探し出す仕事につきました。そういう仕事をしていたので世界中を旅する機会があり、世界各地で撮影した写真が残っています。私も大学を卒業したあとは留学やレジデンスで海外に行きましたので、海外での生活について祖父と沢山話をしました。特に祖父の詳細な記憶の話(主に食べ物や訪れた場所の文化について)を聞くことが大好きでした。 そんな祖父が亡くなったとき、私は、祖父の写真や日記、あるいは祖父が書いた自伝本が捨てられては大変だと思って、急いで自分の部屋に集めました。そのときは、「いつか祖父と作品でコラボレーションができたら」と思ってはいましたが、まだはっきりとしたイメージがあるわけではありませんでした。

熊本市現代美術館への出品作品で、それがかたちになったのですね。

そうですね。芦田彩葵さんのキュレーションによる「Stance or Distance? わたしと世界をつなぐ距離」展でそのチャンスを頂きました。 最初に、かつて祖父が働いていた火山研究センターにリサーチに出かけました。実際に行ってみると、祖父の写真に写っていた風景が広がっていました。中に入ってみると、テーブルの上に地震の記録紙が並んでいました。煤がけした紙を地震計の針が引っ掻くというアナログな記録紙をデータ化する作業から戻ってきたところで、たまたまそこに並べていたそうですが、ちょうど祖父が記録していた時期のもので驚きました。手書きの日付が見慣れた祖父の字で、心が温かくなりました。こうした祖父からの不思議な導きもあり、リサーチを進め、作品を制作しまし た。

このときの展覧会では、いまも林さんが使われている鉱石ラジオが使われていますね。

祖父の自伝本を読むと、火山研究センターに務めていたとき、常駐している先生方もあまりいない環境だったそうで、その寂しさを埋めてくれたのが、写真と鉱石ラジオだったそうです。当時、鉱石ラジオはとても高価で買うことはできなかったけれど、先生が持っているものを見よう見真似で作り、ラジオから聞こえるかすかな音に耳を澄ましていたそうです。その音を通して、 山の上でひとり、世界とのつながりを感じていた、と。熊本市現代美術館の展覧会では、こうした祖父の経験を追体験しようと思い、私もこの鉱石ラジオを父と一緒に作ってみました。実際出来上がって音が聞こえた時は感動しました。見えない空気中に伝播している電波を石がキャッ チして音声として聞こえてくる。なかなか簡単には聞こえないのですが、その歯痒さと聞こえた時の喜びに、当時の祖父の心と少し繋がれた気がしました。

ここまでお話いただいたとおり、林さんは、熊本市現代美術館の展覧会で、御祖父様の活動をリサーチされたわけですが、誰か特定の人物の人生をリサーチし作品を作るというのは、その作品が初めてでしたか?

それまでも、インタビューなどを通して人のお話を聞くことはありましたが、誰かの人生を詳しく調べたことはありませんでした。今考えると、その時をきっかけに特定の人物のリサーチに関心が向いたように思います。実は、熊本市現代美術館の展覧会の前に、東京で暮らしている時、 どこか自分の体と心がうまく統合されていないような感覚を覚えていました。まるで体と心がばらばらになってしまっているような感覚。このインタビューでこれまでお話してきたとおり、私は大学を卒業してから、いろいろな土地に留学やレジデンスに出かけていました。それぞれの土地で思い出はできたのですが、一方で人生を振り返ってみると、それぞれの土地の思い出同士につながりがなく、例えて言うならば、読みかけの本をその土地土地で開いては閉じてと言うように、同じ物語を生きていないような感覚を感じていました。30代前半のそのタイミングで、私は、自分のルーツを辿りたいと思うようになりました。自分より前に生きていた、自分と血のつながりのある人の記憶をたどり、その人が感じていたことを想像する。実際に、祖父の文章を読むと、祖父がどこで感動したのかが分かり、まるで彼の感性と私の感性が重なるような気がしました。そうしたことをしてみると、まるで自分の存在が分厚くなるような感覚を覚えることができました。

「虹の再織」展においても、御祖父様を取り上げられていましたね。

2021年に上賀茂の瑞雲庵で、再度、芦田彩葵さんのキュレーションで、個展「虹の再織」を開催しましたが、このときの作品は、熊本の出品作品の続編のようなものとして展開しました。先にお話しした通り、祖父は火山研究センターを退職したあと、関西に戻ってくるのですが、日記を紐解くと、「上賀茂に住んだ」と書いてありました。奇しくも瑞雲庵も上賀茂にあるので、上賀茂という土地をリサーチすることにしました。 そもそも、この時の個展のタイトルは、ロマン主義の詩人ジョン・キーツの言葉を参照していま す。近代科学が発達していくなかで、虹というある種美しく神秘的な対象でさえ、科学的に説明されるようになり、私たちも虹を科学的な眼差しで捉えるようになった。そうした時代の中で、 ジョン・キーツは、「科学(学問)は虹を解体してしまった」という内容の詩を書くことになります。私はそうしたキーツに対して、想像力によって虹を再び織り合わせたらどうなるだろう、 と考えて、「虹の再織」と名付けました。 この展覧会で重要なモティーフとなっているのが、祖父の日記です。祖父は本当に事細かに日々の出来事を書き留めていました。たとえば、1980年1月の日記を見てみると、「女児誕生の知らせあり」と、私が生まれた日のことが書かれていたり、あるいは、そうしたプライベートな出来事だけでなく、深泥池のことや植物園のこと、地震の観測をしていた京都大学上賀茂観測所のことなど、たくさんのことが書かれていました。「虹の再織」展のときは、いわば、こうした祖父の日記を縦糸にして、虹を織り合わせようとしました。

御祖父様の人生を軸にして、そこに林さんの人生や上賀茂をめぐる様々なモティーフを結び付けていくというような感じでしょうか。

そうですね。この展覧会の出品作品のひとつに、展覧会名と同じ名前を冠した「虹の再織」という作品を出品しました。瑞雲庵の蔵に展示したこの作品は、祖父がかつて上賀茂で記録した地震波形をもとに生成した電子音や深泥池でフィールドレコーディングした音を用いたインスタ レーションです。祖父が記録した地震の振動と現代の深泥池の生命の律動とを織り合わせ、それらをひとつのものとして、体験できる空間を作りました。 このときから、科学的な方法で捉えられたデータを、音や香りや色といった人の感性で捉えられるものへと変換するということをやり始めました。科学は自分とは切り分けられた対象を客観的に見つめる行為で、そのような仕方だから「わかる」こともある。一方で、自分の五感を通して受け取ることで「わかる」こともある。そんな風に、科学と自分の体験とでは、わかり方が違うと思います。もちろん、科学者にしろアーティストにしろ、どちらも「世界を知りたい」という気持ちは同じだろうと思います。ただ科学は、それこそかつてジョン・キーツが書いたように、つまり「虹を分解する」かのように、世界を分解してしまったように思います。そうした分断された領域を横断することができるのが、芸術の力だろうと思っています。

その後、2022年に無鄰菴での展覧会に出品された《Through the Clouds》という作品や 2023年の木津川アートに出品された《Lila》へと続いてきます。

「虹の再織」展のときは、祖父の日記を手掛かりにして、祖父の人生を参照しながら作品を制作しましたが、無鄰菴の茶室に展示した《Through the Clouds》は、無鄰菴を作った山縣有朋の人生をリサーチすることで制作しました。山縣有朋は子供のころ、萩の椿の原生林で、メジロを追いかけて遊ぶことが好きだったそうです。実際に山縣有朋が遊んでいたその山に行ってみると、山の頂上から見える小さな火山由来の島々がある海景が不思議と無鄰菴から見る寝かせた石が配置された庭の景色と重なり、あの庭は山縣有朋の「原風景」をもとにしていると感じました。《Through the Clouds》では、そうした山縣有朋の「原風景」を扱った写真作品を展示するとともに、私の身近な人にも「原風景」についてのインタビューを行い、その音声を鉱石ラジオで聞いてもらえるようにしました。 一方、《Lila》は木津川を流れる砂をモティーフにした作品でした。三重の山奥から京都を経て大阪湾まで流れ続ける木津川の水中の砂の音が微かに聞こえる中、鑑賞者は堆積した砂が放つ微かな光と、その上につるされた和鏡に反射した光の揺らぎを頼りに奥に進んでいきます。その奥には、木津川市にある、神の降臨する山と考えられた鹿背山に咲く今はもう殆ど見る事がなく なってしまった笹百合が風に揺れる映像を微かに投影しました。こんな風にして、《Lila》は、 今は開発が進んだ木津川周辺で古代から現代までわずかに残り続けている自然環境とその中で育まれてきた人々の記憶や自然への信仰心を扱いました。この作品は、今回の展覧会「そして、世界は泥である」の作品群へと繋がっていきます。