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【制作インタヴュー:五感について ②嗅覚】

前回は「触覚」についてお話しを伺いました。

身体のぬくもりや、皮膚と皮膚の触れ合い、触れ合うもの同士の鼓動の振動など、触覚と一言で言っても様々な感覚があることを林さんのお話しを伺って改めて思いました。

私には3歳の息子がおり、幼児のため当然ですが、抱きしめられるのが大好きですし、私のパジャマの触り心地が気に入っていて、冬物にも拘わらず暑い夏である今の時期でもそれを離しません。
その様子を見ていると、触覚とは、私たちが胎内で命を宿した時から育んでいく、最も原初的な感覚をつかさどるもののように思います。
そして、これは個人的な感覚ですが、触覚の次に嗅覚が親密な者同士で交感されるものではないかと感じています。

嗅覚とは味気なくいってしまうと、化学物質を受容器で受け取ることで生じる感覚のことです。
嗅覚は、食欲や嫌悪感などダイレクトに生理的な刺激を与えるものでもあります。

人間はその機能が退化してしまったといわれていますが、人間以外の動物でいえば、匂いによって自分や敵のテリトリーを嗅ぎ分けたり、フェロモンを受容したりするなど臭覚は重要な役割を担っています。

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①林さんの記憶に残る匂いや香りのエピソード、あるいは嗅覚について意識するようになったきっかけを教えてください。

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TH: 芦田さんのお子さんの話は興味深くて、とっても可愛いエピソードですね。母体とのつながりの記憶と愛着なのでしょうね。

やはり親密な他者との香りの交感はその人を識別・認識する上で、そして互いのつながりを感じる上で視覚より重要だと感じます。私は、ビデオ通話が普及し始めたころから親密な相手と顔をみて話しをしてもピンとこず、普段いかに視覚情報以外の感覚で相手を感じ取っているのかということに気づかされました。

胎児における味と匂いの受信器は羊水を飲み込むことで刺激され、触覚に続いて嗅覚が分化し、生後は、匂いをもとに母親を識別し認識するということが確認されているそうです。芦田さんの坊ちゃんのパジャマへの愛着も、肌触りとともに、母親の匂いの記憶が関連付けられてるかもしれませんね。

私の香りの記憶としては、ヨーロッパで経験した香水の文化です。上質な香料を使った香水の香りが体温や肌の匂いと合わさり、その人のオーラを増幅し、存在を拡張しているかのように感じます。それとは対照的に、アメリカの地下500メートルの洞窟を訪れた際、有名な香水の匂いがした時は、急に人間社会に引き戻されたようでがっくりしたのを覚えています。同じ香水でも文化やコンテキスト、香りの質によって大きな体験の違いがありますね。

また、京都に戻ってからは山や岩清水から漂ってくる香りに魅了されています。大地の微生物やミネラル、川や風が通り抜けてきた木や草花の香りの記憶を含んだあの香りを嗅ぐと、それだけで生命力が増す感覚になります。でもこれは日本や東アジアの湿度や気候が生み出している独特の香りのようにも思います。

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②林さんはこれまでに香りを用いた作品として《scentSense》(2005)、《暗香透影》(2019)を制作されています。前者ではコミュニケーションの在り方を、後者では自然と人間との関係性をテーマにしていると思うのですが、両者に共通するものとして記憶が挙げられるように思います。デブラ・セルナーらの報告によれば「嗅覚は視覚や聴覚に比べると、記憶を呼び起こす作用が強い」(2005)とのことですが、香りを中心に2つの作品におけるコンセプトについて教えてください。

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TH: カナダのバンフという人里離れた大自然の中で科学技術者と一緒に制作をするというレジデンスに参加した時に制作したのがscentSenseです。当時、距離と親密さを作品のテーマにしていた私は、テクノロジーを駆使し、離れた場所に存在する親密な関係の二人が、衣服から微量に放たれる互いの香水によって相手への記憶を刺激し合うというアイデアを形にした作品です。芦田さんが質問で触れたように、嗅覚の持つ記憶を呼び起こす作用は特に過去の記憶を共有している、そこに不在な人物の存在をより鮮明に浮かび上がらせる効果があると思い制作しました。

暗香透影は、万葉時代から愛され、現在は絶滅に瀕している藤袴(香水蘭)という花をモチーフに制作した作品です。葉が枯れてから香りを放つため、当時の人は乾燥させた葉を香水として身につけていたそうです。藤袴の香りを、不在な誰かの面影や余韻の象徴として表現した和歌が多く詠まれ、ながい間人と共存してきた花です。人も自然の一部であるにもかかわらず、現在人間社会と自然界との間の分断が進み、その間をゆるやかにつないでいた里山の減少や林業の衰退により十分な陽光が当たらず姿を消しつつある草花の一つがこの藤袴です。古の人の記憶を纏っている藤袴の慎ましやかで奥深い香りが鑑賞者を包むことで、時代を超えた記憶のつながりを創出したいと考え、制作しました。

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③先の質問と重なる点もありますが、林さんが作品で香りを用いる時は、どのような表現や効果を求めているのでしょうか。

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TH: 香りというものは、原始的で動物的な感性として、どこか文明社会の中では軽視されてきた部分でもありますが、芦田さんもおっしゃるように、その分直接的に脳に働きかける力があり、記憶や想像力をダイレクトに刺激します。また、目に見えないコミュニケーション方法でもあり、私たちは遺伝子レベルで性的な相手との相性を嗅ぎ分けているともいわれています。そして香りは古代から医療や魔除け、死者への儀式や宗教儀式にも使われてきた死すべき者と神秘とがつながる為の道具でもあったようです。

現代の私たちは、原始的な感性を手放し、知性で物事を分類したり、目に見えるものや形のあるものに価値を与え、注意を向けがちですが、匂いのように空間に漂って消えていく、きっちり分けれない混合体は、前回の触覚の時にも触れたように、身体及び皮膚の境を超えた魂の表面化であり、それを嗅いだり吸い込むことは相手を自分の中に取り込み作用し合うという意味を持っているように思います。それは人間同士だけではなく、万物との交感においても同様に考えており、香りを使った作品によって、一つの一体感を感じさせる効果があるのではないかと思っています。

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④「虹の再織」展では、京都府立植物園と塩野香料株式会社のご協力を頂いて、セスキペダレの香気捕集を行い新作を制作します。セスキペダレという花そのものがもつ物語もあるのですが、今回は香りづくりにも携わるなかで新たな発見や気付きなどはありましたでしょうか。

またどのような作品にしたいと考えていらっしゃいますか。

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TH: 今回香気採集を行ったセスキペダレという蘭はマダガスカル島で月夜に咲く花です。

特殊な蛾と共進化してきた花なので、その蛾が好む香りを漂わせています。真っ暗な夜の植物園でその香りを嗅いでいると、花粉を媒介する蛾のように私自身も嗅いだことのない香りに誘惑されている心地でした。

塩野香料さんのご協力により、科学的な香気採集及び分析とともに、調香師さんと一緒に花の香りを嗅ぎ、鼻で感じとった成分をメモをする様子を拝見しました。科学的な分析知とともに、最後は人間の官能性を持って香りを調合されるというところが今回の展示のテーマの一つでもある、科学的に分けたものを野生的な感性でまた融合させるという所と共振しているように感じ興味深く拝見しておりました。

今回、植物園という場所で何十年もの経験と技術によって丹精込めて育てられた花と、現代の科学と鍛錬された嗅覚により再現されたその香りを、マダガスカル島から遠く離れた上賀茂の茶室で鑑賞者のみなさんに体験していただくわけですが、今回の作品を通して我々が生きている社会から遠く離れた場所で人知れず行われている花と虫の秘め事を、蛾の視座に立ってこの花の香りに吸い寄せられ、嗅ぐという行為を通して垣間見ていただければと思っています。

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第3回目は「味覚」についてお届けする予定です。