かつて古代ギリシャにはエーテル(aether)という輝く空気の上層を表す言葉があり、またそれは’魂がたどり着く永遠の汚れのない領域である’とも言われていた。19世から20世紀初頭までの物理学では、様々な仮説とともに、この目に見えない超高透明なエーテルは万物の間を満たすものであり、どんなに離れた場所にある複数の物質や人の心をも繋ぐ媒質だと考えられていたのであった。アインシュタインの相対性理論の発表により、エーテルの存在は科学の世界から消え去られてしまったが、その存在を信じていた人々の手によって生まれたのが今回「Ethereal Beings」展で展示している鉱石ラジオである。
この鉱石ラジオは、1930年代祖父が阿蘇の火山研究所で地震観測の仕事に就いていた時、孤独な山頂での生活の中で、外の世界とのつながりを求め自作し、そのかすかな音に耳を傾けたとの記述を元に2015年に熊本市現代美術館で参加した「Stance ot Distance」 展のために父と一緒に作ったものである。私が幼少期を過ごした、原子爆弾の開発を目的として発展した砂漠の中にある小さな街、アメリカのニューメキシコ州、ロスアラモスの近くで採れた鉱石を使い、制作したものだ。この鉱石ラジオはゲルマニウムダイオードなどの開発により1940年代には姿を消した。
そしてまた同じ時期に出現し、人々の心を愉しませたもう一つのものがウランガラスである。極微量のウランを着色材として加え、そのガラスから放たれる放射能が、明朝や夕暮れの紫外線を受けることで人間の目で捉えられる美しい蛍光緑色の波長に変化するのである。このウランガラスもまた、1830年にチェコで生まれ、その後世界中へと波及したが、第二次世界大戦の最中にアメリカなどが原子爆弾開発用のウラン調達の為に発令した民間での使用禁止令によって、1940年代に突然途絶えてしまったという。
どちらも科学の進歩や戦争、近代合理主義という時代の流れの中で忘れ去られてしまったものたちだが、これらの自然物は今も私たちの目には見えなくても、人間の一生を遥かに超える時間の中に存在し、我々を含めたこの世界の中で互いに関係し、影響し合っている。
今回の展示では、 このかつて人々を魅了し、現代は忘れ去られてしまったものたちとともに、光と風が通り、人々が食を通して交感し合う場所「Farmoon」で日々生まれる色彩の数々を纏ったシルクオーガンジー、それらから抽出された五色の糸で吊るしたウランビーズ、そして鉱石ラジオを通して聴こえるここを訪れた人やこの場所に関わる人々の声や音の数々などを用いて、目には見えないけれど在る物たちを身体性を通して感受できる作品へと昇華することを試みる。
最後に、自然への畏敬の念を込めて自然物との対話と交感によって創造される船越雅代さんのお料理への敬愛の意をこめて。
林 智子